ナナイロ宝箱

その灯火が、消える前に

最後のラブレター 4/9 Departure

 

 

え〜!1年ぶりだ!ご無沙汰しております、私は元気です(^_^)!1年ぶりであれなんですけど、今回も重岡くんのお話ではありません。ストロベリーナイトの感想とか節約ロックの感想とか諸々も書きたいし話したいし、何より重岡くんの作詞曲を勝手に考察したい!ヲタクなので。ですが今回は最初に言ったように重岡くんのお話ではないので、ご了承ください🙇🏻‍♀️

 

 

 さてさて、重岡くんじゃないなら誰の話やねん!て感じでしょうか?いやtwitterの相互さんとかはお察しかな、最近そんなツイートが多めだったしね。(ごめんなさい!)4月9日に目黒 BAJにて行われた吉野晃一くんの「Departure」に行ってきました。今回はその感想です。特に否定も肯定もしないつもりだけど、でも好きも嫌いも言ってしまう予定ですので悪しからず。

 

 平日だしバイトだし行けないな〜ってチケットの申し込みすらしてなかったのですが、院の時間割を組んだら思いの外終業時間が遅くて、なんやかんやでバイトのシフトが削れたのでじゃあ行こうかな〜ってなって行ってきました。

 なんとなく今回行かなかったら一生行けない気がして。そんなことは無いんだろうけど、なんとなく、本当にただなんとなくぼや〜っと考えていただけだけど、私自身の新生活もスタートしたこの瞬間に会いに行かなかったらもう付いていけないなと、気持ち的な面でそう感じたので当日券に並んで会場に入りました。コー推しでもまだ会えてない人、歌が聴けてない人がたくさんいるんですが?みたいなのはまぁ、はい、ごめんなさいします。1年待ったしそろそろ良いかなって。私自身もういちごに縋るのも拘るのも、それで今の形に不満を覚えるのも嫌だったし、もう解放されたいな〜って。何より彼の歌が聴きたかった。ので、授業終わりに目黒に向かったわけです。

 

 

 当日券なので最後の方に会場入りしたのですが、テーブル席は勿論立ち見の方もたくさんいらっしゃって、ああこんなにもたくさんの人が吉野晃一くんの歌を待ちわびているのだなと、同じような気持ちの人がたくさんいるのだなと感じました。

 

 会場が少し暗くなって、バンドメンバーの方々が先にステージに上がられて、それから少し待って吉野くんが歩いてきて。その瞬間の、これから吉野晃一が登場するんだという空気感が、たくさんの人の瞳が一点に集中する光景が、彼に向けられる喜怒哀楽のどれにも分類できないような複雑でそれでいてどこか温かな表情が、何故だかわからないけれどその日の中で1番印象的で、今でも忘れられない光景です。いや吉野くん来るから!みて!来るから!って自分でも思ったけどその時は無理だったなぁ(笑)髪が青かったという印象しかないです。でもその背景は(というかむしろそちらにピントが合っていたけど)よく覚えていて、なんか良いなぁって漠然と思ったんですよね。ああ吉野くんてやっぱり人をこういう表情にさせる天才だなと。みんな待ってる、女の子も、男の人も、女の人もいたけど、みんなみんな。人類みんな吉野くんに恋してるのかなって思うくらい複雑で優しい顔をさせるのが上手だと。吉野くんのことあんまり見てないのに、見てないからかな?思いました(笑)

 

 

 会場にはこれまでもきっとアコ旅たくさん行かれてらっしゃるんだろうなぁという「吉野晃一慣れ」してるであろう人もいれば、私と同じようにあの日以来初めて吉野晃一くんの歌を聴きにきた・会いにきた人もいて、なんとなく歌へのノリ方でわかりました。ひぇ〜こんな感じでのるんだ!ここC&R的なところなんだ!へ〜!ってなりつつ、まぁわかんないし純粋に歌聴いて楽しもう!と決めた私はここでいつも通り地蔵になるわけですが。

 勝手に行っておいて本当にワガママなんですけど、やっぱりあの頃とは聴き方が変わるわけで、そこのギャップで勝手に傷ついてしまったのは事実かなぁ。ああみんなもう「吉野晃一慣れ」してるんだなぁ。すごいなぁ。私はまだ無理かもなぁ。なんてぼんやりと考えながら歌を聴いてしまったりなんかして。ちゃんと聴けよって怒られそうなので先に謝りますすみませんでした( i _ i )

 とは言っても彼の歌が好きだと改めて感じたのも事実です。歌詞の意味を一々考えてしまって思考停止してしまう時もあったけど、歌う時の手の動きとか、高いキーを出す時の顔とか、変な笑い方とか、へらへらした話し方とか、それも全部まるっと愛しいと思わせてしまうほどに魅力的で甘い歌声とか。なんか変わってるのに、もう違うのに、コーイチくんじゃないのに、でも私が好きだった彼の好きなところが、吉野晃一くんにもあったんです。ちょっともう自分でも何言ってるかわかんないけど。でもやっぱり、私があの日会いに行って、歌を聴かせてもらったのは、吉野晃一くんであり、決してコーイチくんでは無かったと、全然違う彼がそこにはいたなと思います。良いも悪いもなく、ただ別人なんだなぁと。コーイチくんに似ている別の人の歌を聴きに行った気分でした。(はい?)

 

 晃一くんはここ数回のライブで口うるさく言います。「俺の歌を好きになって、俺の音楽を愛して欲しい」と。それってどういう意味なのかな?と疑問に思いました。意味はわかる、と思う。でもそれってどういう基準?純粋に歌だけを好きでいて欲しい?歌だけを、音楽だけを愛して欲しい?それ以外への好きはいらないから邪魔?そこまでは言われていないけど、そう言われているような気持ちになってしんみりしてしまったり。

 

 正直いって、「超特急のコーイチ」として吉野晃一くんに出逢ってしまった以上、純粋に「歌だけを」好きでいるのは難しい。だって歌以外の魅力も知ってしまっているから。それが彼の中で偽りでもなんでも、それが魅力だと思ってしまっているから仕方がない。彼は顔が好きだと言われるのが嫌だと言うけれど、なんだその贅沢は…とこちとら思ってしまう。(ただの嫉妬)顔でファンつくなら嬉しくない?有難くない?ファンは少しでも多い方が良くない?でも質を大事にしたいってこと?だから歌だけを好きでいて欲しい?でもそれをこちらに直接要求するってどうなの?(笑)と。晃一くんって不器用だなとつくづく思う。でも顔を好きでいてくれる人がたくさんいると思えることって単純にすごい。自信あるのすごい。かっこいいから当たり前なんだけどね!!!羨ましい!!!そうやって顔を好きでいてくれる人がいることも羨ましいよ才能だよ!!!そのファンも大事にしてあげなよ!!!

 

 でも。晃一くんが思っている以上に、顔以外で晃一くんに惹かれている人はたくさんいると思う。いや、というかいる。顔だけの魅力でここまで付いてきてくれる人なんてほぼいなくない?と思ってしまう。少なくとも私は無理です。いつか友人と話したけれど、スキルに惚れていないと好きって続かないし、何かあった時にすぐ離れてしまうよねって。それは歌なのかダンスなのかアクロバットなのか話術なのか、はたまた愛され力なのかなんなのかはわかりませんが、でもそうだと思う。顔がよけりゃある程度のことは許せる、なんて話も聞くけれど、それは現実世界の中でしか通じないような気がしていて。逆にこういう世界ではかっこいい人や素敵な人がたくさんいて、その中で自分がこの人だ!と魅力を感じてびびっとくるのは、かっこいいのは勿論あるかもしれないけれどそれ以上に周りとは違う何かがキラリと輝く人であると思うのです。顔がいいって才能だけど、でも彼らが勝負している世界はそれだけでは通用しないんだろうなと。だけじゃないんだけど、顔がいいってすごい…って本当思うんだけど、そんな人がたくさんいる世界では差別化できる能力や魅力がないとそこから頭一つ抜け出すことなんて出来ないんだろうなぁって。だからこそ、スキルに惚れた好きは長続きすると思うのです。

 

 話は少し逸れてしまったけど、先に述べたように私には顔だけで吉野くんを好きでいることは無理です。これは顔ファンじゃないぞというマウントでもなんでもありません。だって顔は好きだし。(結局そう)かっこいいもん。顔が好き。顔も好き。でも、私にはその顔だけで彼を許す、いや許すって言葉選びは違うのかもしれないけれど、ここでは敢えて許すで良いですか?受け入れるみたいな意味でとってもらえればいいかと思うのですが、大好きな晃一くんの顔だけであの日からこれまでのことを全部許したり、7人じゃなくなるまでのことを無かったことにしたりなんて出来ないです。いくら顔が好きでも!!!許せないことだってあるんだよ!!!最近になって晃一くんはみんなのことを裏切ったという自覚が芽生えたみたいですが、私は別に裏切られたとは思わないです。でも見捨てられたとは感じたかな、当時はそうしか思えなかったけど。裏切られたというより、ああ捨てられたのかって。1人の未来の方が輝いてみえたのかなって。濁してばっかりの晃一くんのことはわからないけど、言えない理由があるのかもしれないけれど、でも何もわからないからそう思ってしまったのです。そんな風にさ、離れていってしまったと悲しくなっても、恨めしく思っても、それでもなお好きだと思えたのは、7人を観てきた思い出と、ふと思い出す大好きだった場所にいつも貴方の歌声があったからです。脱退後に始めたtwitterでの言葉足らずなツイートにモヤモヤしても、ライブの運営の仕方に疑問を感じても、過去を匂わせるような言葉を受け流そうと思えたのも、貴方の声が、歌があったからです。顔だけで、なんて自惚れないで欲しい。いやもっと自惚れて欲しい。貴方の声は、歌は、貴方が思う以上に他人を魅了して離さないよ。そんな素敵で不思議なパワーがあるよ。もっと自分の歌に自信を持って欲しいよ。

 

 それから、もっと自分の歌を聴きにきてくれている人を信じてあげて欲しい。顔が好き、その言葉に傷ついたかもしれない。0から始めたい、自分の歌だけを知っている人に会いにきて欲しい、そう思っているのかもしれない。そんなことを、晃一くんの「アーティスト宣言」を聞いて思いました。でも晃一くんが超特急コーイチであった過去は消えないでしょう。だからこそ0からのスタートにはなかなかならなくて、アーティストに成り切れていないような気がして、そのギャップに苦しんでいるのかもしれないね。でも安心して欲しい。もうみんな晃一くんのことをアイドルだとは思ってないし、(ここで超特急はアイドルじゃありません!みたいないつものあれは求めてないです☆)まずもって会いに行った時にもうコーイチくんでは無いのだとわかったので。だから大丈夫だよ。今でも君に会いに行っている人は、貴方の歌を聴きに行っている人です。純粋に晃一くんの歌を聴きに行きたいと思って、休みを取って、お金を払って貴方の歌を聴きに行っています。貴方のいうように顔が好きな人も勿論いるのかもしれないけれど、顔見るためにお金出してくれるのはある意味強いよね。(?)でも大半が、超特急コーイチの歌声に惹かれ、今の今まで貴方についてきてくれているファンなのです。外野ながらにすごいなと思う。振り落とされないでここまで晃一くんを好きでいてくれる人がいるってすごい。みんなすごい。吉野晃一のファンは強い。だからですよ。だからさ、そんなにアーティストアーティスト言わなくてもみんな貴方の音楽が好きだし、きちんと歌を聴きに行っていることを理解して欲しい。過去は無くならないし、私はなくなって欲しくも忘れて欲しくもないけれど、貴方が忘れたいなら忘れれば良いと思う。でもみんなそう簡単には忘れられないし、その時に貴方とできた思い出がある人もたくさんいる訳で、だから純粋に「歌だけを」好きでいてくれる人ばかりじゃないよね。けどそれって悪いことなのかな?晃一くんがコーイチくんとして積み重ねてきた時間の中で、周りの人を幸せにしてきたからこそ今も好きでいてくれるわけで、貴方の魅力であることに変わりはないわけじゃないですか。それでもやっぱり嫌なのかな。ここまで言っても嫌だというなら、0から始めたいと言うのなら路上でも渡米でもなんでもしてくださいって感じなんですが、言っておくけどヲタクはそれでも晃一くんのことを見つけるし、海外にだってついていくと思うよ。だる〜って言いそうだけど、そう言うものだと思います(笑)

 

 ここでも話が逸れてしまいそうだけど、晃一くんは愛に固執しているイメージがあります。これはただのヲタクの戯言でしかないのだけれど。歌を始めたきっかけが「歌っている瞬間はみんなが僕のことをみてくれたから」というように。幼い日の晃一くんは寂しさを埋める手段として歌を選んだわけだけど、今はどうですか?何のために歌ってる?まだ寂しさを埋めるために歌ってるの?それとも好きな人に想いを届けるラブレターとして?(笑)

 

 寂しさを埋めるために始めた歌は、仲間との出会いで楽しいものに変わりましたか?一瞬でもそう感じてくれましたか?「皆さんにとって超特急とはなんですか?愛ですか?生きがいですか?」そう問うてくれたのはコーイチくんでしたね。あの時貴方は僕にとっての超特急は未来だと言ったけれど、きっと愛や生きがいだという言葉が出てきたのは、貴方の中にもそんな想いがあったからだと期待している自分がいます。

 

 愛されたいと叫んでいるような、それでいて他人からの愛を試しているような。アヒャアヒャ笑っていたかと思えば、すっと真顔になり。メンバーに絡みに行ったかと思えば、隅の方ですんとすまし顔をしている時もあり。愛されたいのに、その愛を怖がっているような、不器用で天邪鬼な人。それがわたしのコーイチくんへのイメージです。愛や恋といったものに固執しているのに、それを怖がって嫌がって歪んだ解釈をしている。なかなか真っ直ぐには愛情と向き合ってくれない。他推しだから貴方のことを100%理解できているわけはないけれど、わたしの中のコーイチくんのイメージはこれです。だから、愛だの恋だのを歌った少し天邪鬼でハラハラするような歌が、吉野晃一に出逢った時には温かくて優しくて甘い恋の歌に変わっていたのには驚いたし、少し嬉しくて、少し切なかった。なんとなく、真っ直ぐに向き合えていないイメージだった貴方が、きっと素敵な人と出会い愛や恋を素直に歌えるようになっていた。優しい顔で言葉を紡いでいた。ああこんな顔で歌うようになったのかと新しい貴方の一面を知ることができた気がして少し嬉しかった。と、同時に切なくなったのも事実です。

あの頃は私たちに向けて、自分のことを好きな人たちに向けて歌ってくれていたのに、伝えてくれていたのに、今はきっと自分が好きな人に向けて歌っている。不特定多数の中から自分を見つめてくれている誰かを見つけて言葉を届ける貴方はもういなくて、いるのは特定の誰かのために歌っているであろう貴方でした。それらしき存在を認識してしまったが故にそう思ってしまったのかもしれない。気にしなければ良かったのかもしれない。でも晃一くんも「察して」と言っていたし(笑)そういうことですよねきっと。何故切なくなったのか考えました。リアコだから?はちょっと違うかもしれない。顔も歌も好き、彼はリアコ製造機であることに違いはないです。が、きっとそうじゃない。ネタで失恋だなんだと喚いたけど(笑)、きっと違うんです。大きな理由は、彼の書いた歌詞に共感できないんだと痛感してしまったから。だって目の前にいる彼がきっとそこにいる女性を想って歌っているのに、私がその歌詞に自分やその経験を投影して共感することって出来ますか?浸ることって出来ますか?出来る出来ないじゃなくてやるんだよ、と言われたらそれまでですが、その時の私には無理でした!!!あ〜今そうね、きっと好きな人に向けて歌っているのね、うん、幸せそうだねって。そう思うことは出来たけど、歌詞への共感も感動もなくて。だって自分を投影できる隙が無いんだもの。そういう、歌を見て欲しいっていうのに、こちら側に自己投影の余地を与えてくれないところに切なさを感じてしまいました。勝手に切なくなってごめんね。でも歌を好きでいたいのに、音楽を好きでいたいのに、2人の間の歌であると認識してしまった瞬間にその歌にバリアを貼られているような気がしてしまって。何も考えずフラットな状態で歌詞を見ると私の好きな感じで可愛いなと思ったけれど、やっぱり目の前にチラつくものは消せませんでした、ごめんなさい(笑)

 

ここまで晃一くんの愛に対する姿勢の変化とか、歌を届ける対象とか、その前はずっと晃一くんのファンの人たちのことを書いてきたけれど、何が言いたいかっていうと「伝えなくてもいいこともあるよ」ということで。正直察してくださいという発言は本当にいらなかったと思っています(笑)だってアーティストなんだから、ただただ等身大に歌を届けてくれれば良かったよ。こっちは勝手に察するし、なんなら既に察していました。が、特定の楽曲の名前を出した上でそういう発言をされると、晃一くんが望むように「音楽を愛する」というのは難しいのではないかな、と。フラットな状態であの歌が聴きたかった。「もしかしたら」を想像しながら、はたまた自分の過去や今を投影しながら、貴方の作った歌を楽しみたかった。好きになりたかった。でも無理だった。対特定の誰かへの歌だと、その瞬間にわかってしまったから。別に貴方に恋人がいようが結婚しようがなんだっていい。もう自由だ、好きにしていいはずだもの。でも、歌に罪はないじゃん?貴方の歌が、声が好きで聴きに行っています。だから純粋なそれを楽しませて欲しいのです。アーティストなんでしょう?歌そのものを、音楽を愛して欲しいのでしょう?ならばそこの、貴方と歌との間にある他人のことなどこちらに悟らせなくてもいいじゃない。ウェディングソングを作った時はお祝いしたいし、もう本当に、さっきも言ったけどそこらへんは好きにして欲しい!!!恋愛してくれ!!!なんか顔が優しくなっている気がして少し嬉しかったのも事実だし!!!ただ、楽曲への解釈はファン1人1人に委ねて欲しい。そこは消費者にあたえられた権利だと思っているので。どうか、自分の歌の価値を下げるようなことは、歌の意味を限定するようなことは、少なくとも「歌だけを愛して欲しい」と語る貴方にはして欲しくない。

 

 愛するから愛して欲しいとは言いません。ただ、愛するから、こちらが貴方の歌を、声を愛しているという事実だけは理解して欲しい。貴方の歌を愛する人がたくさんいて、貴方の未来を応援する人がたくさんいて、貴方に今までもこれからもついていこうとする人がたくさんいることを知っていて欲しい。そしてそれがどれほどに素敵で、そして当たり前ではないことなのかを理解して欲しい。恩着せがましく聞こえそうですが、そうではなく。貴方の考えているような「好き」ではない、歌を愛してくれている人が存在しているということを理解して、自信を持って、そしてそれに誇りを持って活動をして欲しい。〜〜して欲しい、ばっかりで、強欲ですね、申し訳ないなぁ。でも頑張ってね。貴方が夢だと語った武道館の舞台に、貴方のことを応援して、今までずっと信じてついてきてくれた愛に溢れる方々を連れて行ってあげられることを心より祈っています。

 

 

 それから、私はね、大好きな人たちに連れられて東京ドームに行く予定です。こんなところにこれを書くなんて意地汚いかな?性格悪いかな?なんとなく自分でもそう思う(笑)でも敢えてここで言いたかった。晃一くんが武道館に行くと宣言した時から、ならこっちはやっぱり東京ドームだなって。晃一くんなんて呼び方慣れないけど、晃一くんは晃一くんで夢を叶えてください。Departureに行けて本当に良かった。たくさんの葛藤と決断を迫られた気がした。どっちもを応援するなんて難しいことではないし、きっとこの先もそうするだろうと思っていた。でも違いました。今の私はここで振り落とされるべきファンだと思いました。ファンと書くことすら躊躇うけれど、きっと求められているようなファンではないです。かといって6人の方に求められているかと問われればわからないけど。でも6人に東京ドームに連れて行って欲しいし、わたしたちが連れて行きたいし、みんなで東京ドームまで行くの。これは決定事項なの。超特急を未来だと言った人が、7人でドームに行くといった人がそこに居ないのは意味わかんないけど、でもだからって諦めるほど物分かり良くないし、無理だとも思ってないよ。きっと連れて行ってくれる。正直晃一くんが抜けるまでは、ドームに行くことよりも何よりも、7人でいてくれることに幸せを感じていたけれど。でも晃一くんが抜けたから行けなかったって思われるの嫌じゃん!?大好きだし歌上手いし居なくなったの意味わかんないけど。(意味わかんないけど)6人がもういいならこちらももういいんです。活動してくれるだけで幸せなんです。でも、まだ、6人がその夢に向かって行くと言葉にしてくれているから。今はただその言葉を受け取って、応援するだけです。

 

 晃一くんの武道館と、超特急の東京ドーム、どっちが先かな??どちらでも私は嬉しいかもしれないなぁ。わかんないけど。こっちも全力で目指すから、晃一くんも頑張ってね。やっぱり辞めた〜とか無しね!ここを手放してもいいほど、手放したくなるほど叶えたい夢が、立ちたい場所があったのだと思っているから、こちらが悔しくなるほどに大きくなって欲しい。ふらっと会いに行けるくらい大きな場所で歌ってる存在になって欲しい。こっちはこっちで、後悔させるくらいに大きくなりたいな。いやどうだろう、晃一くんなら誇らしくなるのかな。出来ると思ってたわ、と笑うのでしょうか。わかんないけど、とにかく貴方が居なくても大丈夫だと、貴方にも、貴方が居なくなってから離れてしまった人にも、世間の人にも知らしめたいなぁ。ここまで書いたけど、結局のところ、やっぱり6人が6人で居てくれたらそれで幸せかもなぁ〜

 

 

 Departureの感想というか、吉野晃一くんをみて感じたことになってしまいましたが、こんな感じで終わりにしようかな。長々と、まとまりのない文章を見て下さった方、ありがとうございました(^_^)誰だよって思った方は宜しければ吉野晃一で検索してくださいね。あ、その3倍くらいの量超特急も検索してくれると好きが零れ落ちます〜〜!!!()では、本当にこの辺で終わりにします。

 

 吉野晃一くんの夢への一歩目が素敵な時間で溢れていますように。超特急6人の未来が、更なる活躍を見せる、好きなことがお仕事につながる素晴らしいものでありますように。7人を愛する全ての人がハッピー教でいられますように。