ナナイロ宝箱

その灯火が、消える前に

君はきっと陽だまり

 

 

ポレポレ東中野にて行われた山戸結希監督凱旋上演、最後の一夜にお邪魔して来ました。溺れるナイフが大きなスクリーンに映し出される最後を、どうしても自分の目に耳に心に、残しておきたかったのです。

 

初めの圧倒的な可愛さの夏芽だけが映されるカットは、そこが普通ではない世界だと感じるには簡単で、違う世界を覗き見させて貰っているような、そんな気持ちになりました。

 

夏芽は神さんでは無いけれど、かといって普通の女の子という訳でもなくて。言うなればその容姿と才能で生きていけるほどの日本中の女の子の憧れで。ただコウの前だけでは、自分の神さんの前だけでは、普通の女の子になれたのだと思います。嫉妬するほどのカリスマ性をもつ彼に出逢い、負けたくないと感じる中でその感情が愛になり、自分の全てを委ねたいと思うまでになった。コウはコウで、夏芽の容姿に惹かれたことはセリフでも言っていますが、他にも夏芽が自分を見つめる時の挑発的な視線に今まで知ることのなかった魅力を感じたのかなと思います。

 

ここまで書いていて改めて思ったのは、私は夏芽には感情移入してこの作品を観られなかったなということです。最早登場人物の誰にも出来ませんでした。コウのような危うさもカリスマ性も、夏芽のような頑固さも美しさも、大友のような優しさも温かさも、カナのような闇も愛情も、私は持っていないものだったから。理解できないのでは無くて、でもそこにいる誰にも感情移入をすることは無かったです。それでも私は涙を流しながらこの映画に触れ、大きな衝撃を受け、大事な大事な宝物だと言えるほどにこの映画が大好きです。

 

如何してここまで自分の中でこの作品が大きな存在になっているのかはわからないけれど、ただわかっていることは、きっと私は大友くんに恋をする1人の女の子としてこの映画を観ていた、この世界に生きていたということです。誰の中で生きるでもなく、新たな「私」として大友くんに恋をしていた。山戸監督の手で私も「女の子」になれました。

 

周りに流されない強さにかっこいいなぁと惚れ惚れして、友達のままで良いなんて言った時にはもっと欲張りになっていいんだよと背中を押したくて、想いが通じた時にはおめでとうって涙声で伝えて、空元気で送り出した時にはよく頑張ったねって抱きしめてあげたくて。大友くんはいつだって優しい人です。気持ちを伝えるときも、付き合おうってなるときも、夏芽を見送るときも。いつだって自分は味方でいるけど、それが重荷にならないように逃げ道を作ってあげられる人です。彼女の居場所を作ってあげるのに、そこに居ることを強制しない人です。 そんな風に大切な人にとっての1番いい道を考えて選択肢を与えてあげる大友くんを、私はずっと追い続け、エールを送っていました。

 

最後のシーン 、きっと大友くんは何も知らずにその先を生きていくんだろうなと思わせる演出で、私は正直ホッとしました。大友くんにはもっと普通に生きていてほしい。光とも闇ともいわない世界で良いから、大友くん自身が陽だまりのような人だから、何も知らないまま生きていってほしい。もうこれ以上苦しい想いをしないで生きていって欲しいと、貴方に恋をする1人の女の子として、願っています。貴方は紛れもなく私の、みんなの、あの世界のなかでの、たった1つの陽だまりでした。

 

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自分の目で確かめるまで、「大友はただの重岡くんだった」という声に何処か嫌な気持ちがしていました。そんな言い方はまるで重岡大毅重岡大毅のまま映画に臨んだみたいに聞こえてきて、何だか失礼なんじゃないかなって。この目で映画を観ることが出来た時、やはり大友くんは重岡くんそのままなんかじゃないと感じたし、きっと「自然体で」の言葉に苦しみながら大友勝利を演じてくれたのだろうなと思いました。ただ、観てくれた人に「重岡大毅そのものだった」と思わせるほどに大友くんの陽だまりのような優しさは重岡くんにマッチしていた、ということなのかな。そう思ってもらえるほどに自然な演技だったのならきっとそれ以上に嬉しいことはないよねと、今なら言えるかもしれません。

 

 

こんなにも感情を揺さぶられて、恋心を抱いて、女の子になれる映画は溺れるナイフが初めてでした。観ていてこんなにも心が苦しくなって、涙を流すほどに愛しいと思えたのは大友くんが初めてでした。こんなに素敵な作品に重岡くんが出演してくれたこと、とても誇りに思います。

 

ポレポレ東中野での上映後、山戸監督へのお手紙をお渡しした際に少しお時間を頂けたのでお話しさせて頂きました。伝えたいことのうち何%伝えられたのかもわからないし、緊張と嬉しさで言葉が出る前に涙になって流れてしまったけれど、「重岡くんを見つけてくれてありがとうございました。」のそのたった一言を伝えることが出来て本当に良かった。それに対する「こちらこそ重岡くんを生んでくれてありがとうございました。」「私だけじゃなくてたくさんの人に見つかりましたね、重岡くん。」という山戸監督からのお言葉が涙が出るほど嬉しくて、勝手に救われたような気持ちになり、そして重岡くんを選んだことを決して後悔していなくて、むしろこの映画を通して重岡くんが世界に見つかってくれればとさえ思ってくれていると、そう感じて。ああ何て素敵な監督さんに撮っていただけたんだろうと、幸せだなぁと、どこか他人事のように思って。

 

気付けばこの作品を取り巻く全ての存在のファンになり、宝物になっていました。これからもきっと大切で、観るたびに女の子になります。この映画を通して得た感情も、出逢いも、ずっとずっと自分の中で大切にしていきたいものとなりました。私がこの映画に出逢えたのは紛れもなく大好きな重岡くんのおかげです。重岡くん、ありがとう。またいつか素敵な演技をみせて欲しいです。頑張ろうね。

 

 

溺れるナイフが、1人でも多くの方の手に渡り、目に届き、耳に響き、心に刺さる作品になりますように。これからもずっと、愛し続けます。